2013年10月

自分の事3/やる気にさせられて!!!

IMGP2730

★筆記体覚えてないやろと言われて・・・!


中一の冬にさざなみ学園に入って

進級して中二になってすぐ(^_^;)

転任してきた野田先生が!!


俺に(^_^;)

「長良、英語の筆記体がかけへんねやろ」


「それにお前九九
覚えてないやろ!」と(+o+)

俺はそんなん(+o+)

関係ないやろ!と((+_+))

反抗して(^_^;)

やる気のない俺に(^_^;)
 

野田先生は「なんも恥ずかしいないで」と言って

今覚えたらええんやと筆記体と(^_^;)

九々の(^_^;)

特訓を飴と鞭で(^_^;)


してくれて
(*^^)v

苦労して九々
半分を覚えた時に(^_^;)

野田先生は(^_^;)

自分の立場も顧みず褒美に学園の鉄の規則を破って!


学園外の彦根の洋食屋に連れて行ってくれて!!


御馳走してくれた(^_^;)

「先生首になるで!」という俺に!


「規則を破るだけの価値ある事を長良は達成したんやで!!」


と言ってくれた(^_^;)

後に英語の筆記体を覚えた時は(^_^;)

「この調子で頑張れば来年の4月には学園でて家から地元の中学校に通えるかもやで!園長先生に頼んだる!!」


と言ってくれて(^_^;)

本間に園長に直談判してくれて!


この時は1歩も2歩も前に出られたようにおもった!


1年間野田先生に

ヤバイ時はしばかれながらも

なんとか中学3年に水口中学に通えるように家に戻して貰った・

 


自分の事2/虚弱児施設!

PA300257

施設への入園

大津中央児童相談所で(^_^;)


3か月間の観察期間の後(^_^;)

俺は(^_^;)

審判の日を迎え(^_^;)


俺の第一希望の(^_^;)


家に帰って水口中に通う(^_^;)

事は(^_^;)

当然(^_^;)


許可してもらえなかったが(^_^;)

学校恐怖症という(^_^;)

神田先生と俺のアピールが(^_^;)

功を奏したのか(^_^;)

 

神経性学校恐怖症ということで(^_^;)

おそらく滋賀県の学校恐怖症
(不登校)1号生として(^_^;)

当時(^_^;)

虚弱児施設の彦根の施設(^_^;)

さざなみ学園に(^_^;)


入園が決定した!

なんとか俺は教護矯正施設行きを免れた!!

 

しかし虚弱児施設の学園に行って見ると!!


見ると効くでは大違い(^_^;)


「虚弱児学園は身体の弱い子供が多いからやんちゃしたらいかんで!!!」と(^_^;)

児相の保母さんが言っていたにも関わらず!


当時の
S学園は虚弱児施設とは名前ばかりで(^_^;)

本当の虚弱児は少数波、
(*^^)v


俺と同類であろう人間がいっぱい!!


入園後まもなく(^_^;)

先輩たちから手荒い(^_^;)

歓迎リンチをくらい!

 

えらいところにきてしまったなぁと(^_^;)


ただ学園に居る(^_^;)

園児たちと俺との違う点は!!


俺のように(^_^;)

両親が揃っていて(^_^;)

家族がある園児は(^_^;)

ごくまれで!!



小さいころに親が死んだり(^_^;)

失踪して親戚などをたらいまわしにされた
($・・)/


挙句(^_^;)

家庭を無くし(^_^;)

問題行動を起こして学園にやって来た(^_^;)

奴たちが多かった(^_^;) 




問題行動を起こして家庭を無くすのと!


家庭を無くして問題行動を起こすのでは入所先に大きな違いがあるらしいが!

 

そんな粗暴な奴らに混ざってキンジストロフィーや(*^^)v


小人症(^_^;)

ハロー第
4ちょうしょ(^_^;)

小児ぜんそく(^_^;)

等の虚弱児たちも混在して!

 

人間にはいろいろなスタイルがおるねんなぁと・・・!


驚愕驚嘆!!

 

 

思いこみ!



俺はほとんどの園児たちが(^_^;)

家族に恵まれていないため(^_^;)

不幸意識の高い奴ばかりだとおもっていたが!


物心ついた時から(^_^;)

家族の温かみや(^_^;)

家庭の雰囲気を知らない(^_^;)

奴らには(^_^;)

家族がいない事や家庭がないことに(^_^;)

対しての不幸感覚は(^_^;)

皆無だった(^_^;)

サザナミ学園(^_^;)


入園後まもなく(^_^;)

俺は(^_^;)


予想外のキツイ(^_^;)


ホームシックにかかったり!


何回も(^_^;)

学園のつれともめたりしながらも(^_^;)

学園生活にも溶け込んで仲間も友達も出来たころ!



俺から見たらほとんどの奴が(^_^;)

家庭とは無縁の(^_^;)

家族に恵まれない不幸な友達ばかり
(?_?)


そこに俺の家族が面会日には(^_^;)

毎回のように幸せ家族を振りまいて!


差し入れを持って面会にやって来る
(?_?)


親や家族が面会に来てくれるのは素直に喜べるようになっていたが!


子供ながらに家族の居ない仲間たちに気を使う!!
 

というより(^_^;)

反感や妬みから(^_^;)

家族のいない(^_^;)

家庭を持たない(^_^;)

先輩や友達が(^_^;)

怒って(^_^;)

俺をリンチに合わせるのではないかと!!


俺の中に恐怖心が募った(^_^;)


部屋の仲間たちは(^_^;)

俺に家族の面会が来ていても
(?_?)


表面上は平気な顔をしているのがかえって不気味だった!!


ビビりながらの(^_^;)

日々が過ぎて行
`~´>


ある日(^_^;)

俺の家族との(^_^;)

面会の終わった直後
<`~´>



数人の先輩と同じ部屋の仲間に裏庭に呼び出された(^_^;)

俺はついに来るべき時がやってきたなと(^_^;)

ビビりまくっているにもかかわらず(^_^;)

8人ほどが待つ(^_^;)

呼び出し場所にいって!!



平静な顔を保って(^_^;)

「なんの用やねん!!」と(^_^;)



呼び出した連中は顔を見合わせている
(*^^)v


リンチにしては(^_^;)


何か様子が違うなぁと(^_^;)

思っていると(^_^;)

意外なことに
(*^^)v


連中から放たれた言葉は(・へ・)


「長良君に内緒で聞きたいねんけど!」

「家族って!親ってどんなもんやねん!!」


「ええもんなん?うっとい者なん?」


と・・・・・・・

目の前にいる連中は(・へ・)

家族の概念は(・へ・)

本やドラマでしか体感しておらず(・へ・)

実際の家族や(・へ・)

家庭は(・へ・)

ハッピーなのか(・へ・)

うっとい人間集団なのかすら(・へ・)

解っていない状態で(・へ・)

俺の親が面会に来てくれているのを観ていても(・へ・)

何も感じないらしい!!!

というか(・へ・)

家族が来てくれるのを(・へ・)

俺がどう感じているのかを知りたがった(・へ・)


俺は(ー_ー)!!

数か月(・へ・)

鳥越苦労で気を使いまくって居たわけで・・・・!!




また(・へ・)

学園には(・へ・)

暗黙のルールがあって!


ちくりが全くと言っていいほど(・へ・)

ないのが(・へ・)

暗黙のルールで(・へ・)

驚きだった・・・!



また(・へ・)

小人症や弱者とわかる奴にはみんな手を出さない!


これも暗黙のルールだった(・へ・)


学園の近くを歩いていると(・へ・)

地域の子供たちから(・へ・)

「施設の子ども!!!」と言っては石を投げられる!!



あまりの(・へ・)

投石の(・へ・)

痛い(・へ・)

いやがらせに(・へ・)

思わず反撃してしまって(・へ・)

相手に怪我を負わせた友達が(・へ・)

教護施設に送致処分になった・・・!

苦い辛い思い出として残ってている(・へ・) 

 


自分の事1/学校恐怖症??

コピー ~ CIMG0101
俺は中学1年の夏休み明けから(^_^;)

学校にほとんど行かなくなった(^_^;)

昭和42年当時はまだ不登校という言葉はもちろん登校拒否という言葉すらなかった
<`~´>


先生から「なんで学校に来れないねん!」

「なんで集団行動が出来ひんねん!」

「なんで友達とトラブルを起こすねん?」と良く聞かれた!

 

その理由は自分でもよくわからなくて!

 

逆になんでみんなが!

 

なぜ学校に毎日来れるのか!

なぜみなが集団行動がとれるのか!

なぜみながトラブルや喧嘩をおこさずに過ごせるのか!

なぜ先生が毎日嫌な事があってもいつも前向きな姿勢で学校に来れるのか?

の事の方が俺にとってはとても不思議だったしスゴイという尊敬心もあった!

 

学校に対しても教師に対しても反感も反抗心も全く持っていなかったし(*^^)


先生の言うことはいちいちもっともで納得は出来るが!

 

教師の言う事はわわかっちゃいるけど実行出来ない(^u^)

 

学校を休む理由を何となくとか(^_^;)

パスするとは言えないので!!

 

苦し紛れに身体がしんどとい言えば「医者に連れて行ったろう、不規則な生活を正して規則正しい生活を送るように」と言われ(^_^;)

心配して見舞いに来てくれるし!

 

「学校に行っても勉強がわからない」と言えば(^_^;)

「放課後、勉強を教えたろ?」ととんでもない熱意の波状攻撃が飛んでくる!


先生の言葉に感謝はしたが・・・


理由なんかわからないがとにかく学校に行きたくない一心だった
(*^^)v

 

言いがかり


俺が(^_^;)

それをすることによって先生からの指導は極端に減った。


俺は(^_^;)

心にもない教師批判や学校批判を繰り返した(^_^;)


教師の体罰、暴言、不適切言動について(^_^;)

不満と批判を連発して(^_^;)


男子だけ坊主頭の規則に対して(^_^;)

男女平等と言うなら(^_^;)

女子も坊主の規則にすべきだと(^_^;)

わけのわからない(^_^;)

理屈をこねて真面目な先生を困らせて(^_^;)


屁理屈ををいうなと激怒する先生もいたが(^_^;)

俺への先生からの(^_^;)

登校指導やかかわりは極端に減った!

 

単純な俺は調子に乗って学校にもたまにしか行かずに自由を得たような気分で。

 

同時に俺に関わってくれている先生たちをひどく傷つけていることや(?_?)

 

学校からは(*^^)v

反抗的、学校不適応、問題行動、問題児、という烙印を押されている事すら気付かない鈍感さと能天気だった!

 

それでも担任の日野谷先生は激怒しながらも(^_^;)

俺に熱心に関わってくれたと(^_^;)

今思えば感謝と残儀に耐えない・!

 

そうこう勝手気ままをしているうちに!

 

中一の11月に児童相談所に入所という事態を迎える!


児童相談所では(^_^;)


俺の都合の良い妄想話を(^_^;)

淡々と聞いてもらえる無条件の受容と共感に救われた気分になったち!


大津の中央児童相談所で何回か検査を受けた後に入所(^_^;)


当時の昭和
43年ごろはまだ不登校という言葉はもちろん登校拒否という言葉すらなかった。


神田と言う児童心理学士の先生が(^_^;)

担当で俺と面談している時(^_^;)

「アメリカでは学校恐怖症と言う言葉があるらしいで。」

「長良君もその学校恐怖症と違うか?」と・・・言ってくれた!

 

当時は今のように1人の相談員が123人もの児童を!


担当していなかったのか?


児相自体が暇だったのか
(?_?)


熱心に学校恐怖症について調べて語ってくれた!!

 

次の行き場を決める児童相談所での(^_^;)

観察期間の俺にとっては(^_^;)

渡りに船の(^_^;)

学校へいかなかった理由を正当化できる(^_^;)

便利な言葉が学校恐怖症だった!!

神田先生は真面目にドがつくような学者肌の堅い当時
36ぐらいの先生で!



学校に行かないのは学校に行っている間に親がいなくなってしまう恐怖心があるから!


という本当は学校・・さぼりたいだけやのに(^_^;)

 
 


万引きは寂しさを紛らわすためのスリルを味わう手段やった!



本当は・・物がタダで手に入るお金を出して買うのが勿体ない物欲だけ(^_^;)
 

 

集団行動が出来ないのは大勢の人と接すると怖くなってくる!


本当は・・・協調性がないだけの話(^_^;)

等々の(^_^;)

俺のでまかせの話を(^_^;) 

 

だまされてくれているのか(^_^;)

ほんまに俺の戯言を信じているのか(^_^;)

分からないが!!


うなずきながら熱心に疑問を持たずに俺の都合の良い作り話を(^_^;)

無条件の受容と共感に救われた気分になってしっかりやってみようかと思ったのは確だった!!!


俺はここで(^_^;)

3か月の観察期間を過ごして(^_^;)

年が明けて(^_^;)

1月の末(^_^;)

次に俺が行くところを決定する(^_^;)

審判の日がやってきた(^_^;)

ギャラリー
  • 暗黒携帯(~o~)
  • 暗黒携帯(~o~)
  • 暗黒携帯(~o~)
  • 2018年夏季プラン!
  • 2018年夏季プラン!
  • 2018年夏季プラン!
  • 2018年夏季プラン!
  • 2018年夏季プラン!
  • 2018年夏季プラン!